協会誌巻頭言

当協会について

しんそしんみつ

熊本県精神科協会 元理事 平成病院 前院長 本田荘介

遠距離恋愛をしたことがありますか。遠く離れた相手を想う気持ち,恋する気持ち,愛する気持ち,寂しい気持ち,切ない気持ち,悲しい気持ち,信じる気持ち,疑う気持ち,嫉妬する気持ち。声を聴いた時のときめき,久しぶりに会って顔を見た時の嬉しさ。昔のことを少し思い出しましたか。 

「身疎心密」 これは,遠距離恋愛のことを言っているのではなく,コロナ禍に私が作った造語です。新型コロナウイルス感染症対策として,密閉,密集,密接を避けること,いわゆる3密を避けることがよく言われていました。これは感染対策の基本で重要なことでした。しかし,精神科病院にて治療を行なっている者として,私は密を避けることに違和感を抱いたのでした。患者さん達を避けることにならないのか,患者さんから離れていて精神科治療は成り立つのか。そこで,身体は距離を置いたとしても,心まで離れないように,心は患者さんの近くに常にあるように,このような気持ちをもって治療にあたりたいと思い,「身疎心密」という言葉を造りました。この言葉は,コロナ禍だけではなく,様々な場面で思い出され使ってきました。身疎心疎にならないように,「身疎心密」の気持ちを忘れずに精神科治療を行っていこうと,私が院長であった頃によく病院職員に話をしていました。

ところで,皆様もすでに感じたことがあるでしょうが,「お爺ちゃん,独楽の回し方を教えて」「お祖母ちゃん,漬物の作り方を教えて」なんて,先人にものを尋ねる子は近頃見なくなりました。わからないことがあっても,親,学校の先生,友達にも聞かなくて済む。検索サイトで調べれば瞬時にわかる。人に尋ねるのは面倒くさい。あとでお礼も言わないといけない。また,chatGPT に悩みを相談する若者も増えている。否定されることもない,嫌なことを言われることもない,人に相談する際の緊張感,不安感もない。相手の都合も考えなくて,自分の時間がある時に話すことができる。そして自分の方から止めることもできる。便利なものだ。

また現在は,自分の関心,利益を最優先に考え,他の人,全体のことなど全く顧みない,理解しようとしない人が増えてきているように感じる。どうしても外側の形,ハード面の充実にこだわり,内側の形,ソフト面がおろそかになってしまう。外側の形の充実は,相手がいない分,向上心があれば自分の思いのまま進めることができ,ある一定の成果も出る。しかし内側の形の充実のためには,その重要性の理解と立ち向かう意思と周囲の協力という大きな力が働き続けなければ難しく,成果が出てくるのに時間と労力がかかる。そんな面倒なことはしたくないと思いがちである。

現代社会,コンピュータ中心社会は面倒,不便さを限りなく失くすように変わってきた。これからも人間は利便性を追求していくであろう。さらに個人主義,利己主義的な考え方が進み,ますます人と人とのコミュニケーションが希薄になっていくであろう。しかし,人間社会として生きていくには,お互いの考えや気持ちを語り合う,論じ合う,そして理解し合う,愛し合う,敬い合う,信じ合うことはとても重要なことだ。恋人同士,友人間,家族間,また職場の人間関係において,このことを大切にして欲しい。また特に精神科医療に携わる者として,人と人の「○○し合う」ことを忘れずに患者さんと接していきたいと思う。これからも,「身疎心密」の心を持った精神科医であり続けたい。

 

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